イラク派遣部隊の日報を隠蔽した犯人はだれ?何が問題なのかわかりやすく解説

PKO問題

陸上自衛隊のイラク派遣部隊の日報について、

当時、防衛大臣を務めていた稲田朋美元防衛相が

国会で「残っていないと確認した」と答弁しました。

 

不存在とされたイラク派遣部隊の日報

 

ですが、

その答弁の翌月の2017年3月には

陸上自衛隊が

イラク派遣部隊の日報の存在を確認していた

ということがつい最近明らかになりました。

 

南スーダン国連平和維持活動(PKO)の

日報隠蔽(いんぺい)問題で

稲田朋美元防衛相が辞任に追いやらています。

その教訓があったにもかかわらず、

防衛省がイラク派遣部隊の日報が見つかったことを発表したのは

今年に入った今月の2日。

 

イラク派遣部隊の日報が見つかったことを発表した段階でも

1年前に見つかっていたことには一切触れられていません。

 

 

今回は、イラク派遣部隊の日報はなにが問題なのか?

また、イラク派遣部隊の日報を隠蔽した犯人はだれなのか?

そして、イラク派遣部隊の日報を隠蔽しなければならなかった理由を

わかりやす解説します。

 

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イラク派遣部隊の日報はなにが問題なのか?

イラク派遣部隊の日報は

その名の通り、

イラクに派遣された陸上自衛隊の部隊の詳細な記録が

日報として残されています。

そこには、天候から弾薬の保有状況や患者の受診状況など

様々な情報が記されています。

 

ここで問題になるのが「戦闘」というキーワードが

日報に記載されているかどうかということです。

 

PKOは国際平和維持活動に他ならないのですが、

日本は日本国憲法第9条に

平和三大原則の1つ」である平和主義を規定していて、

3つの原則で成り立っています。

その1つが「戦争の放棄」、

2つ目が「戦力の不保持」、

3つ目が「交戦権の否認」です。

 

国際平和協力法により国際的な問題上、

日本が海外に自衛隊を派遣せざるを得なくなってしまうのですが、

この時政府は上記の日本国憲法の問題、

また世論の問題から、自衛隊の海外派遣は、

非戦闘地域に限り、また自衛隊の武器の使用は認めず

国際平和維持活動のみのためと規定し、

自衛隊の海外派遣を国会で通します。

 

そして、自衛隊が派遣されたイラクで宿営地に砲弾が撃ち込まれるなど

治安の悪化が問題となり、

イラクは非戦闘地域ではないのではないか?

という疑念が生じます。

そこで、野党がイラク派遣部隊の日報の開示を国会で請求します。

もし、イラク派遣部隊の日報に「戦闘」や

武器の使用」などの記載があったとしたら、

イラクは非戦闘地域ではなく、

自衛隊が戦闘行為を行なっていることを認めてしまう結果となり、

PKO派遣の原則が崩れてしまうばかりか

日本国憲法第9条にも抵触してしまう恐れがあったためです。

 

イラク派遣部隊の日報を隠蔽した犯人はだれなのか?

イラクの日報については野党がその開示を求め、

昨年2月の国会で稲田元防衛相が

残っていないことを確認した」と答弁していました。

 

防衛省も、稲田元防衛相の説明と同様に

昨年2~3月にも陸自研究本部で探したが

確認されなかったと説明しています。

 

ですが、

今年1月に、陸自研究本部(現・教育訓練研究本部)で

2004~06年の日報データが見つかったということが

明らかになります。

 

ここで問題なのは、今年1月に見つかったのに、

3月末まで小野寺五典防衛相に報告されなかったという点です。

陸自が統合幕僚監部に報告してからも1カ月以上かかっています。

南スーダン問題でもデータ発見が防衛相に報告されるまで

1カ月も要していました。

 

なぜ報告にそんなにも長い時間を要したのでしょうか?

 

イラクの日報が発見された経緯は、

17日から南スーダンの日報隠蔽問題を巡る特別防衛監察が始まり、

南スーダンのPKOの日報が残っていないか調査が行われる過程で、

前回(イラクの日報の調査時)は調べなかった

陸自研究本部教育課の外付けハードディスクの中から

イラク派遣時の日報が見つかりました。

日報を発見しながら報告を上げなかったのは陸自研究本部の担当課長

 

その担当課長の説明によると

イラクの日報を報告しなければいけないという認識はなかった

ということです。

 

山崎陸上幕僚長によると、

陸自研究本部教訓課は陸上幕僚監部を通して調査の指示を受けており、

同課長らは調査に

大臣の指示で探しているという認識がなく、国会で問題となっている文書という認識もなかった

と述べています。

 

教訓課長は

当時は南スーダンの日報を調べており、(イラクのものは)調査対象ではないと思った

とも説明しています。

 

ですが、

イラクの日報が開示を求められていたことを知らないはずがありません

この説明は説得力に欠けています。

 

自民党内からの憶測では、

当時、これ(イラクの日報)を出したら

大臣の首に関わるという忖度があったと思うとのことです。

 

防衛省は情報開示への意識の低さを露呈した形となり、

陸自研究本部での隠蔽の経緯を巡って、

防衛省の河野克俊統合幕僚長は

大臣および国会に対して、背信的な行為を行ったと言われてもしかたない

と述べており、

これまで調査を担当してきた統合幕僚監部の担当者は

今後は政務官トップの調査チームで調べるので、答えられない

と繰り返しているのが現状です。

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イラク派遣部隊の日報を隠蔽しなければならなかった理由は?

イラク派遣部隊の日報は何が問題なのか?でも説明したように

南スーダンの日報でもそうですが、

その中に「戦闘」の記載があったことが明らかになりました。

 

 

これは、自衛隊の海外活動の正当性が揺らいでしまうほどの大問題です。

 

また一方では、

防衛省が「不存在」と発表したことに

合わせたのではないかとの見方もあります。

 

 

PKOの日報の公開を求めていたジャーナリストの布施祐仁さんによると、

イラク派遣部隊の日報の記述の中で注目されるのは、

TK射撃含む激しい銃撃

この記述から、

TKとはタンク、戦車を出して戦闘を行っていた事が読み取れる

ジュバ市内で戦闘が生起したことから、突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要

などの記述が日報には10か所以上にも及ぶ

戦闘」の文字があったとのことです。

 

また、布施さんによると

「仮に戦闘が起こっていることを認めてしまうと、

現地の部隊を撤収させないといけない。

政府にとってこの『戦闘』という文字が不都合な情報だったのではないか」

との見方です。

 

当時、稲田元防衛大臣は「戦闘」を否定していました。

稲田元防衛大臣は、

戦闘行為かという意味においては、戦闘行為ではない。

私は一般的な意味において、武力衝突という言葉を使っております

と述べています。

 

戦闘行為と認めてしまうと、

停戦合意中であることを前提として派遣される

PKO派遣の原則が崩れてしまうのです

 

野党によるイラク派遣の日報の開示請求によって

イラク派遣の日報が開示されてしまうと、

イラクは非戦闘地域ではなく、

自衛隊を撤収するべきだという議論が起こっていたはずです

 

政府はこれをなんとしてでも回避しなければなりませんでした。

 

まとめ

自衛隊は海外で戦闘行為を行なってしまったのでしょうか?

行わざるを得なかったのでしょうか?

それとも武力衝突だったのでしょうか?

 

その答えはイラク派遣部隊の日報に記されています。

 

また、最近の公文書の隠蔽や改ざんの問題は、

防衛省に限ったことではありません。

役所の中で隠蔽や改ざんが行われ、

政治家は「知らなかった」という構図が出来上がってしまっています。

 

これは、今後の日本の政治が危ぶまれてしまうことです。

私たちはこれを許してしまっていいのでしょうか?

 

 

最後までご覧下さりありがとうございました。

 

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